君たちのほうが間違っているかもしれないこと
2004年1月11日【マジック】
http://www.mitene.or.jp/~aysen/yaneura/yane_new.html
F県はそろいもそろって頭でっかちばかりですか。
なんかもう非常に呆れました。彼らがマジックに何を求めているのかは知りませんが、自分達の思い通りにならない=非難というのは子供の理論ではないかと。
コスト面の言及について。青のクリーチャーとアーティファクトクリーチャー、基本的に色マナは不特定2くらいという換算が主でした(灰色熊計算でいけば、ですが)
しかしMMあたりからだんだんスローペース、というか3マナ2/2(色1不特定2)5マナ3/3能力つき(色2不特定3)あたりが「一般的」なスタンダードのクリーチャーの大きさになってきています。
・・・といってもその前のTEブロックとUZブロックのコストパフォーマンスが良すぎるだけという話もありますが。
確かに4マナ9/8トランプル飛行つきは大盤振る舞いですが、ターン2つというのはそんなに少ないドローバックでしょうか?自分はそうは思いません。
リバイアサンというクリーチャー・タイプだから同じ考え方をするという発想が非常に理解しがたいのですが、彼の頭の中では「リバイアサンというクリーチャー・タイプを持つものは非常に重いペナルティを持っていなければならない」という固定観念でいっぱいのようです。
また、リバイアサンを使う人間はそれで優越感に浸れるそうですが、実際に当人に聞いてみたりとかしたんでしょうか。本人だけの想像、創造だけで物事を断言されるのは非常に見ていて見苦しいです。
ダークの頃のクリーチャーの考え方(ダーク全般に言える事ですが)は、「効果もでかいが反動も大きい」というのが特徴です。そのテーマに沿ってデザインされた《リバイアサン/Leviathan(5E)》と、別の観点でデザインされた《日々を食うもの/Eater of Days(DST)》を比較することができるでしょうか?
まったく別のクリーチャーであるのに、「リバイアサンだから」という理由だけでやれコストが安いだの強いだのと根本的に論じるところを間違えていると思います。
カードのデザインというのは、現在のカードの種類とそのセットのテーマも重要な要素であると自分は考えています。また、前例がなかっただけに10/10のクリーチャーをはじめて産み落とすにはそうとう考えたはずです。
そしてザ・ダーク開発時、出ていたものはアルファ〜アンリミテッド、アラビアンナイト、アンティキティーあたりで、わずか1年の間にベータ、アンリミ、アラビアンナイト、アンティキティー、レジェンド、ザ・ダークと駆け足で開発・発売をしている状況で、「リバイアサンがコストとのパフォーマンスバランスが正しい」ということを本当に証明できるのだろうか?
もしリバイアサンのバランスをもとに逆算すれば逆に後続のテンペストの軽量クリーチャーなど「存在してはならない禁止カード」くらいになるわけで、さらに言えばザ・ダークでも《ボール・ライトニング/Ball Lightning(5E)》という「悪くも良くも」前例となってしまったクリーチャーや《Clensing》《Amnesia》といった「やっちゃいかんレベル」の呪文のオンパレードであり、その頃のバランス感覚に従うべきだ、ということこそがすでにお門違いであると自分は思わざるを得ません。
また、ドローバックがなくとも、「弱すぎる」カードも多く含まれていることもザ・ダーク全般にわたって言えることです。こういったエキスパンションの特徴を無視して発売前のエキスパンションのカードを語れるでしょうか?
また古いカードを好きな人間が不要だというのはWotCおよび関係者が発言していたのでしょうか?
開発されているカードの結果だけを見て自分たちが受け取る印象をあたかもWotCがそう言ったかのように論ずることは私感を他の人間に植え付けようとしているようにしか思えません。
もしその考えが真だとするなら、なぜ今までタイプ1のカードは繰り返しテキストの変更をしているのでしょうか。またタイプ1のトーナメントを匂わせるようなルールを取り入れているのでしょうか。
そこが説明できるとは到底思えない言い草です。
マジックが昔と変わらぬ人気を得ているかどうかについては、そもそも93-94年当時と現在のTCGの状況は大きく違います。常に業界のトップでありつづけるために、魅力的なクリーチャーを開発することはR&Dにとっても永遠の課題であることでしょう。
そのひとつの答えが《リバイアサン/Leviathan(5E)》のオマージュである、と自分は考えています。
また、ひとつ彼が勘違いしていることは、《Eater》の能力は、自分の次の2ターンを飛ばすことであり、出す(meターン)相手ターン(meスキップ)相手ターン(meスキップ)相手ターン、meターンと、相手は3ターン連続で行うことになります。4マナたまった時点で出したとして、タップアウト状態で相手は3ターンの猶予があります。これが致命的であるかどうかは、その環境にもよるでしょうが、リミテッドならば《粉砕/Shatter(MRD)》あたりの軽い除去呪文で対処できます。もちろんない場合はほかの方法をとるわけですが、ダメージ以外でこれを無力化する方法はミラディンだけでもそれなりに種類があるわけで、これを出したからといって安心はできないということです。《横暴/Domineer(MRD)》されたらそれこそ楽しい結末が待っていることでしょう。
リミテッドはパックに入っているカードがかなり勝敗を左右しますが、では構築だとどうでしょう。
今現在幅をきかせている親和デッキのために対アーティファクトカードはそれこそごまんとあり、事前になんらかの対抗策への対抗策を講じない限り、ただ出してOKというものではありませんし、このカードがトーナメントシーンに登場するならば、当然環境はそれに合わせて「対処できるように」変化するだけの話です。
昔のカードは昔のカードは、と昔のカードが神のように扱われているような錯覚さえ受けます。
自分にとっては、《Time Walk》や《Maze of Ith》などは「ひどいことができる」典型であり、まっとうなゲームバランスとは言えない部類のものです。
実際、タイプ1は恐ろしい呪文が乱れ飛ぶゲームだと認識していますし、昔のカードのパワーバランスというものはやはり一線を隔して壊れているか話にならないかどちらかだということです。
1枚の「ぶっ壊れた」カードがいかにトーナメントシーンを停滞させるかはウルザの「青い冬」を見ればわかるように、カードデザインを一歩間違うとデュエルというよりはじゃんけんゲームになりえます。
逆にドローバックばかりでは反動だけで身動きの取れないゲームになるでしょう。
そこで、「名前だけリバイアサン」であることが何の問題があるのでしょう?別の観点、別の状況から生み出された巨大クリーチャーは「リバイアサン」を名乗ってはいけないと決め付けているのはほかならぬ彼自身であり、そうとう危険な思い込みであると私は思います。
また、マジックが回避すべきものは、前例に倣うことであり、同じパターンが続いているという感覚を抱いた時点でマジックを離れていった人も少なくはないでしょう。
実際はマイナーチェンジであり常に何らかの新しい要素と結びつき、新しい環境を試そうとしていることは歴史を見ていけばわかることであり、それが成功だったか失敗だった(!)かはやはり歴史が証明しています。
過去のマジックの常識に捕らわれることで失うもののほうが大きいことを、R%Dは承知しているのではないでしょうか?
何度も何度も同じようなドローバックを持つものを作り出すことで同じ人気や売上が望めるとでも、彼は考えているのでしょうか。すべて反証していけば恐ろしいことになります。それだけ穴だらけであるということですが。
使い勝手のよいわかりやすい「前より強い」クリーチャー、本当にこいつはそうでしょうか?私はそうは思いません。使い方を間違えればデメリットは自分の首を締めることを、身をもって体験したときに、本当にこのカードが「適切」なのか「ぶっ壊れている」のかが証明されるでしょう。
過去のアーナムの焼き直し、《Juzam Djinn》の焼き直しがどういう扱いを受けているか、それを踏まえた上で新しいリバイアサンをぜひとも使ってあげてください。
http://www.mitene.or.jp/~aysen/yaneura/yane_new.html
F県はそろいもそろって頭でっかちばかりですか。
なんかもう非常に呆れました。彼らがマジックに何を求めているのかは知りませんが、自分達の思い通りにならない=非難というのは子供の理論ではないかと。
コスト面の言及について。青のクリーチャーとアーティファクトクリーチャー、基本的に色マナは不特定2くらいという換算が主でした(灰色熊計算でいけば、ですが)
しかしMMあたりからだんだんスローペース、というか3マナ2/2(色1不特定2)5マナ3/3能力つき(色2不特定3)あたりが「一般的」なスタンダードのクリーチャーの大きさになってきています。
・・・といってもその前のTEブロックとUZブロックのコストパフォーマンスが良すぎるだけという話もありますが。
確かに4マナ9/8トランプル飛行つきは大盤振る舞いですが、ターン2つというのはそんなに少ないドローバックでしょうか?自分はそうは思いません。
リバイアサンというクリーチャー・タイプだから同じ考え方をするという発想が非常に理解しがたいのですが、彼の頭の中では「リバイアサンというクリーチャー・タイプを持つものは非常に重いペナルティを持っていなければならない」という固定観念でいっぱいのようです。
また、リバイアサンを使う人間はそれで優越感に浸れるそうですが、実際に当人に聞いてみたりとかしたんでしょうか。本人だけの想像、創造だけで物事を断言されるのは非常に見ていて見苦しいです。
ダークの頃のクリーチャーの考え方(ダーク全般に言える事ですが)は、「効果もでかいが反動も大きい」というのが特徴です。そのテーマに沿ってデザインされた《リバイアサン/Leviathan(5E)》と、別の観点でデザインされた《日々を食うもの/Eater of Days(DST)》を比較することができるでしょうか?
まったく別のクリーチャーであるのに、「リバイアサンだから」という理由だけでやれコストが安いだの強いだのと根本的に論じるところを間違えていると思います。
カードのデザインというのは、現在のカードの種類とそのセットのテーマも重要な要素であると自分は考えています。また、前例がなかっただけに10/10のクリーチャーをはじめて産み落とすにはそうとう考えたはずです。
そしてザ・ダーク開発時、出ていたものはアルファ〜アンリミテッド、アラビアンナイト、アンティキティーあたりで、わずか1年の間にベータ、アンリミ、アラビアンナイト、アンティキティー、レジェンド、ザ・ダークと駆け足で開発・発売をしている状況で、「リバイアサンがコストとのパフォーマンスバランスが正しい」ということを本当に証明できるのだろうか?
もしリバイアサンのバランスをもとに逆算すれば逆に後続のテンペストの軽量クリーチャーなど「存在してはならない禁止カード」くらいになるわけで、さらに言えばザ・ダークでも《ボール・ライトニング/Ball Lightning(5E)》という「悪くも良くも」前例となってしまったクリーチャーや《Clensing》《Amnesia》といった「やっちゃいかんレベル」の呪文のオンパレードであり、その頃のバランス感覚に従うべきだ、ということこそがすでにお門違いであると自分は思わざるを得ません。
また、ドローバックがなくとも、「弱すぎる」カードも多く含まれていることもザ・ダーク全般にわたって言えることです。こういったエキスパンションの特徴を無視して発売前のエキスパンションのカードを語れるでしょうか?
また古いカードを好きな人間が不要だというのはWotCおよび関係者が発言していたのでしょうか?
開発されているカードの結果だけを見て自分たちが受け取る印象をあたかもWotCがそう言ったかのように論ずることは私感を他の人間に植え付けようとしているようにしか思えません。
もしその考えが真だとするなら、なぜ今までタイプ1のカードは繰り返しテキストの変更をしているのでしょうか。またタイプ1のトーナメントを匂わせるようなルールを取り入れているのでしょうか。
そこが説明できるとは到底思えない言い草です。
マジックが昔と変わらぬ人気を得ているかどうかについては、そもそも93-94年当時と現在のTCGの状況は大きく違います。常に業界のトップでありつづけるために、魅力的なクリーチャーを開発することはR&Dにとっても永遠の課題であることでしょう。
そのひとつの答えが《リバイアサン/Leviathan(5E)》のオマージュである、と自分は考えています。
また、ひとつ彼が勘違いしていることは、《Eater》の能力は、自分の次の2ターンを飛ばすことであり、出す(meターン)相手ターン(meスキップ)相手ターン(meスキップ)相手ターン、meターンと、相手は3ターン連続で行うことになります。4マナたまった時点で出したとして、タップアウト状態で相手は3ターンの猶予があります。これが致命的であるかどうかは、その環境にもよるでしょうが、リミテッドならば《粉砕/Shatter(MRD)》あたりの軽い除去呪文で対処できます。もちろんない場合はほかの方法をとるわけですが、ダメージ以外でこれを無力化する方法はミラディンだけでもそれなりに種類があるわけで、これを出したからといって安心はできないということです。《横暴/Domineer(MRD)》されたらそれこそ楽しい結末が待っていることでしょう。
リミテッドはパックに入っているカードがかなり勝敗を左右しますが、では構築だとどうでしょう。
今現在幅をきかせている親和デッキのために対アーティファクトカードはそれこそごまんとあり、事前になんらかの対抗策への対抗策を講じない限り、ただ出してOKというものではありませんし、このカードがトーナメントシーンに登場するならば、当然環境はそれに合わせて「対処できるように」変化するだけの話です。
昔のカードは昔のカードは、と昔のカードが神のように扱われているような錯覚さえ受けます。
自分にとっては、《Time Walk》や《Maze of Ith》などは「ひどいことができる」典型であり、まっとうなゲームバランスとは言えない部類のものです。
実際、タイプ1は恐ろしい呪文が乱れ飛ぶゲームだと認識していますし、昔のカードのパワーバランスというものはやはり一線を隔して壊れているか話にならないかどちらかだということです。
1枚の「ぶっ壊れた」カードがいかにトーナメントシーンを停滞させるかはウルザの「青い冬」を見ればわかるように、カードデザインを一歩間違うとデュエルというよりはじゃんけんゲームになりえます。
逆にドローバックばかりでは反動だけで身動きの取れないゲームになるでしょう。
そこで、「名前だけリバイアサン」であることが何の問題があるのでしょう?別の観点、別の状況から生み出された巨大クリーチャーは「リバイアサン」を名乗ってはいけないと決め付けているのはほかならぬ彼自身であり、そうとう危険な思い込みであると私は思います。
また、マジックが回避すべきものは、前例に倣うことであり、同じパターンが続いているという感覚を抱いた時点でマジックを離れていった人も少なくはないでしょう。
実際はマイナーチェンジであり常に何らかの新しい要素と結びつき、新しい環境を試そうとしていることは歴史を見ていけばわかることであり、それが成功だったか失敗だった(!)かはやはり歴史が証明しています。
過去のマジックの常識に捕らわれることで失うもののほうが大きいことを、R%Dは承知しているのではないでしょうか?
何度も何度も同じようなドローバックを持つものを作り出すことで同じ人気や売上が望めるとでも、彼は考えているのでしょうか。すべて反証していけば恐ろしいことになります。それだけ穴だらけであるということですが。
使い勝手のよいわかりやすい「前より強い」クリーチャー、本当にこいつはそうでしょうか?私はそうは思いません。使い方を間違えればデメリットは自分の首を締めることを、身をもって体験したときに、本当にこのカードが「適切」なのか「ぶっ壊れている」のかが証明されるでしょう。
過去のアーナムの焼き直し、《Juzam Djinn》の焼き直しがどういう扱いを受けているか、それを踏まえた上で新しいリバイアサンをぜひとも使ってあげてください。
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